9月18日に起きた痛ましい事件。日本と中国をとても愛して、中国語と日本語、そして文化をお伝えしている身としても、ショックな出来事でした。
数々の文化の違いを乗り越え、長年にわたり愛をはぐくみ合っって来られたご両親にとって、愛児を突然奪われたお気持ちは察するに余りあり、こうして口を開くことすら憚れる日々でした。
ですが、事件発生から、受講生さんや講師どうしても色々と話していくうちに、
私自身の思いがだんだんと「このまま悲しんで終わっては、尊い命を差し出してまで私たちに大切なことを教えてくれた男の子に申し訳ない。個人の想いでも勇気を出して書きとめておこう」と思いました。
先ず、最初の報道では一貫して「日本人」と言われていましたが、尊い命が犠牲になった男の子は、お父様が日本人、お母様が中国人でした。
つまり、日本人、中国人の両方が傷つけられたという象徴的な出来事だったと思います。
事件が起きた日は93年前に満州事変の発端となった柳条湖事件が起きた日で、「国辱の日」とされている日でした。この事実を知る日本人がどれだけいるでしょうか?おそらく、中国で暮らしたことのある人以外は全く知らない人も多いのではないでしょうか?
私も北京留学時代に「日の丸を見ただけでムカつく」など色んなことを言われたことがありましたが、
自分自身の個人的な体験なしに、教育だけで他社への憎悪を教えられた人ほど、その反応が酷いな、とは感じてきました。同じように今もSNS上に感情的な心ない憎しみの言葉を書き込む人たちからも同じような感覚を受けています。
もし彼らが、一度でもお互いに血の通った温かい交流を体験していたら、こんなことになっていただろうか、と思います。
ここ数年、コロナもあって、日中の交流やイメージはますます冷え込んでいるのを感じていました。
隣同士なのに、目を合わせようとしない、心を通わせようとしない感じを受けます。
一方で私の周りでは日中カップルの愛児も次々誕生して、おばあちゃんになって気持ちでお祝いしてきたりもしました。なので、一層、今回の事件は、言葉ではとても表現できない思いに胸がふさがれていました。
「もう、日本人だから中国人だからって憎しみ合う時代をやめて、偏見は捨てて、仲よくしてね」と亡くなった航平君が言っているような気がします。
この事件は、誰かに解決を求める前に、私たち一人一人が個人として今後どうしていくのか、どんな未来を望んで行動していくのかをと問われているように思いました。
私がいつも受講生さんにお伝えしているのは、「言葉そのものより、相手へどんな気持ちを向けているかが大事。敬意と興味関心を持って、交流を楽しむ心を持ちましょう」ということです。
大陸、台湾と日本が歴史的にも切っても切れない関係にあったことを思い起こしていただけるよう
オンライン中国語フェス、歴史講座、漢詩講座、中国ビジネスに不可欠な文化セミナー、交流会などで
繰り返し伝えてきました。
この大きな大きな悲しい事件を前に、どんなに微力であっても、これからも相互理解を促す活動を
改めて継続していこうと深く決意しました。
日本語だけでなく、流暢な中国語を話し、動物好きの優しい少年のあまりに痛ましい死。
お父さんのような大人になりたいと語っていた少年は、あと10年もすれば、どれほど素敵な男性になったことだろう…。素晴らしい語学力と、双方の文化を併せ持って育ったから通訳だけでなく
色々な場面で大活躍したことでしょう。
一つの言語の習得に気の遠くなるような時間とエネルギーが必要なこと、相互理解にも
沢山の試練を乗り越える必要があることを身をもって体験してきた者のはしくれとして
この可愛い少年が日中の架け橋から、突如としていなくなったショックは大きいものです。
だからこそ、けして無駄にしないよう、お互いを知るキッカケ、文化のこと、必要不可欠な言葉という道具を伝えることが、今後一層、より広がるように意図して、コツコツと続けていこうと思います。
最近の遺伝子のゲノム研究では、日本では古代から鎌倉時代にかけ、1000年以上の年月をかけて
縄文人と渡来人がゆっくり混血してきたことが分かっています。当初、縄文人は沖縄や東北に多く、渡来人は近畿に多かったのが、日本列島全域に広がって現代まで残っているのは世界的に珍しいケースだそうです。
日本人は昔から、他国の人を受け入れ、柔軟な態度で、寛容な心を持って接してきたようです。
混血の度合いに地域差があるとはいえ、私たち個人の先祖をたどっていけば、大陸や台湾、東南アジアから渡ってきた人に必ず当たるというわけです。
もう一度心を合わせていく時代が廻ってくると信じています。
先祖は共通なんですから。
写真は、2024年9月29日(日)毎日新聞より
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