【砂漠で見上げる満月】~『磧中の作』岑参(しん・しん)
一昨夜の中秋の名月は素晴らしかったですね。
満月を見上げる人の心は様々です。
盛唐の詩人、岑参(しん・しん)に『磧中の作』という作品があります。
碛 中 作 qì zhōng zuò 磧(せき)中(ちゅう)の作
岑参 cén shēn 岑(しん)参(しん)
走马西来欲到天 zǒu mǎ xī lái yù dào tiān 馬を走らせて西来(せいらい)天に到らんと欲す
辞家见月两回圆 cí jiā jiàn yuè liǎng huí yuán 家を辞して月の両回(りょうかい)円(まど)かなるを見る
今夜不知何处宿 jīn yè bù zhī hé chù sù 今夜は知らず何れの処にか宿(しゅく)するを
平沙万里绝人烟 píng shā wàn lǐ jué rén yān 平沙(へいさ)万里(ばんり)人煙を絶つ
「碛(せき)」とは、砂漠のことで、「磧中の作」とは砂漠で詠んだ詩という意味です。
馬を走らせて遠く西域の地までやって来ると、まるで天に至らんとするようだ。
家を出てから、満月が二回巡り来て、ほぼ2ヶ月が過ぎた。
今夜はどこに野営するのかまだ分からない。
見渡す限りの砂漠で、どこまで行っても人家は見当たらない。
その昔、地平線が広がる砂漠の果ては天につながっていると思われていました。
李白の詩にも「黄河の水、天上より来る」(『将進酒』)という表現があります。
これは従軍している人の日常をそのまま描いた詩です。
故郷を離れた兵士たちの気持ちを想像しつつ書いたと思われます。
実際に駐在した人物ゆえに非常に現実的です。
家族と遠く離れ、砂漠で見上げる満月。
口に出しては言えないけれど、どんなにか家が恋しかったことでしょう。
岑参は、戦地に10年以上もいたので、その詩は悲憤慷慨するところあり、と言われますが、作品をみると激情に駆られるというより、落ち着いた人柄を感じさせる表現です。
同時代の人にも「識度声遠、議論雅正」つまり、知識が豊かで、声望があり、議論は上品で且つ公正であった、という評判だったそうです。
403首が現存し、そのうち70首あまりの辺塞詩を残しています。
写真撮影 藤野彰氏
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