【歴史はロマンか教訓か】
突然ですが、日本人は歴史をロマンにするのが好きな傾向にありますね。
だから、邪馬台国論争や義経伝説、忠臣蔵、三国志に人気があるのかもしれません。
漢詩の世界では、どちらかというと真面目な杜甫より、奔放で「白髪三千丈!」と言っちゃうほど大げさで、どうしようもない呑んべぇで、(これは二人とも同じですが…)でもどこかロマンチストな李白が人気といえるでしょう。
また、李白の詩にみられる虚無感も、どこか日本人の心をくすぐります。
今日の午前は李白のロマンとニヒリズムの交錯する
≪苏 台 览 古≫と≪越 中 览 古≫を鑑賞しました。
この二首は組曲とも言えるもので、呉越の戦いを題材にそれぞれ呉の国、越の国の都のあった場所に行った李白が、古の時代を思い起こし、現在と過去、ロマンチシズムとニヒリズムを絶妙に表現した詩です。
解説はこちらの記事をご覧ください。 さて、呉越の戦いは孔子が生きていた春秋時代の少し後、という古い時代のことです。
紀元前473年に呉王の夫差が越王勾践に破れ、紀元前1096年、周王朝の祖から脈々と続いた呉の王家は滅亡します。
唐の時代に生きた李白からすれば、呉と越がそれぞれ繁栄し戦った時代は、遥か昔の物語なのです。
呉越同舟や臥薪嘗胆などの言葉を生み、越王から呉王に贈られた絶世の美女西施、呉王の宰相伍子胥と越王の宰相范蠡らが繰り広げた呉越の戦い、そして越王を勝利に導いた名宰相は「狡兎死して走狗烹らる」と越を脱出し、斉で大金持ちの商人へと華麗なる転身をするのです。一説では、元々愛人だった西施を伴って。。
呉越の物語は様々な尾ひれもついて語り継がれ、数々の舞台の題材なっています。
これもまた解説と共に改めてお話ししましょう。
こう書きながら、やっぱり私も歴史はロマンだなぁ、と感じている自分に気が付きました。
教訓としても捉えないといけない!とは思うのですが。
写真は呉王夫差の剣と、越王勾践の剣です。
約2500年も前のものとは思えません。
錆びていないどころかピカピカですね。
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