【岑(しん) 参(じん)「行軍九日長安の故園を思う」】
この詩を先日鑑賞して、平和な世界に生きられることを有難く実感したところですが、昨日アフガニスタンで長年復興支援をされていたという中村医師の尊い命が弾丸に倒れる、という悲惨な事件がありました。
もういい加減に、人間社会は殺し合いをやめないといけないと思いました。
さて、岑参は、唐の時代715年生まれ。杜甫より3歳年下で、杜甫とも親交が深かったようです。
744年に科挙に合格して進士となります。四川の辺境に赴任し、西域での従軍生活を題材にした辺塞詩を得意としました。
その後、玄宗皇帝の華やかなりし時代は過ぎ、長安の都は戦場となります。
この詩を書いた当時、岑参は安禄山軍によって占拠されていた長安を奪回する戦いに従軍していました。
九日とは九月九日の重陽の節句のことで、その日に長安の故郷を偲んで書いたものだそうです。
旧暦の九月九日は、現代の暦の10月中旬に当たりますが、菊の節句ともいわれ、高いところに登って、酒に菊を浮かべて飲み、遠く離れたところにいる親族を偲ぶ習慣があるのだそうです。
一句目は、従軍中ではあるけれど、強いて高いところに登って菊酒を飲んで、故郷や家族に想いを馳せようとしたが、二句目の誰も酒を送ってこない、と続きます。ここでは、重陽の節句に同じく酒がなかった陶淵明に酒が送られてきたことの典故です。
陶淵明には酒が送られたが、こんな戦場には誰も酒など送ってこないという嘆きがにじみ出ています。
三句目の遙かに憐れむ故園の菊とは、はるか遠くの故郷に咲く菊をいつくしむように思い出している様子です。
菊と言えば秋を象徴する花で、菊には邪気を払う力があるとされ、重陽の節句には、邪気払いの菊酒を飲むのだそうです。
そういえば、私の子供の頃、お正月に大人たちがたしなんでいた花札の絵柄に菊とお酒があったのを思い出しました。
花札の菊と酒が中国から来たかどうかは分かりませんが、少なくともこの習慣は日本に伝わったかもしれませんが、浸透しなかったのですね。
日本でも、食用菊は販売されていますし、今度こそ菊をお酒に浮かべて飲んでみたいとひそかに思いました(笑)
さて、最後の句、「応に戰場に傍いて開くべし。」とありますが、この文の主語は菊の花です。
「応」とは、きっと~だろう、~のはずだという意味で、「傍」はかたわら、わき、ですから、戦場となったところにそって菊の花は咲いているだろう、と戦地と化した都長安と道端にひっそりと咲く菊の花を思い浮かべているのです。
この頃、杜甫はあの有名な「春望」を詠み、華やかなりし長安の都の荒れ果てたさまを嘆きますが、こういう詩を読みますと、今の時代がいかに幸せかと思わずにいられません。
岑参はまた、南宋の大詩人陸游に熱愛されたそうですが、どちらも気骨のある軍人である一方、戦地でのやるせない気持をこうして詩に吐露しています。
残された漢詩により、現代に至るまで時代を越えた共感がおきています。
漢詩は、当時の生身の詩人たちが、その目を通して観、その生涯を通して体験し、感じたなまなましい時代の記録でもあります。
今の時代からは想像を絶する、苦しい時代があったことを、後世に伝える素晴らしい手段の一つだと思えてなりません。
xíng jūn jiǔ rì sī cháng ān gù yuán
行 军 九 日 思 长 安 故 园
cén shēn
岑 参
qiǎng yù dēng gāo qù
强 欲 登 高 去
wú rén sòng jiǔ lái
无 人 送 酒 来
yáo lián gù yuán jú
遥 怜 故 园 菊
yīng bǎng zhàn chǎng kāi
应 榜 战 场 开
強(し)いて 高きに登り去(ゆ)かんと欲するも、
人の酒を送る無し。
遙かに憐れむ故園(こえん)の菊(きく)、
応(まさ)に 戰場に傍(そ)いて開くべし。
写真撮影 藤野彰氏
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